50代の友達の再婚式に参加して

私の友人Deborahが51歳と言う年齢で再婚し、

先日結婚式に出席した。

 

お相手は58歳。長身でなかなかのいい男である。

ちなみに二人とも国籍はAmerican。

二人とも年の近い息子(teenagers)がいる。

 

彼女と私は子供の悩み、旦那の悩みを共有し、月日をかけて友情を育んだ。

だから彼女が再婚し、幸せになるのを見るのは感慨深いものがある。

 

彼女の話をしよう。

まず、とても「構わない人」だ。

Wallmart (日本のダイエー)で5ドルで買ったようなTシャツを着て、

下はいつもシミのついたグレーのジャージ。

とても細くて(これはアメリカ人の女性には極めてレア)おそらく子供用サイズだ。

でもそこそこ胸はあり、細すぎるが、スタイルがいいと言えないこともない。

 

とてもわかりにくいのだが、彼女はとても美しい。

銀縁眼鏡をかけているが、澄んだ大きな青い目、Jewish特有の高い鼻筋、ぽってりとした唇。顔も小さく、可愛らしいと言ってもいい。

 

ADHDなのか、いつもバタバタした様子があるが、人に気を使うとてもいい人だ。

 

最初に会った日を今でも忘れない。

子供同士が同じ空手道場に通っていた。

ふと、隣に座ってた女性がおもむろにカバンからクーポンを取り出しハサミでジョキジョキ切り出した。クーポン切り取り作業をしばらく続けたかと思うと、板チョコを

取り出し、ガツガツと食べはじめた。

そのwildな姿に私は恋に落ち、彼女に話しかけた。

 

7年前のことだ。

そのころはちょうど「旦那に逃げられた」ばかりで精神的に大変な時期だったらしい。

二人で会ううちに、彼女の話を聞く役をすることになった。

子供のプレーデートをしながら、彼女の話をとことん聞いた。

2年前に彼氏ができたと紹介され、そのあとはとんとん拍子。

 

さて、結婚式でドレス姿の彼女はやはり美しい。

幸せな姿を見て、とても嬉しい。

 

でも、やはり新しい家族ができて、当然私との時間は減った。

私も、私の息子も数少ない友人を失ってしまった。

 

私の息子は彼女の子供が大好きだ。

私も彼女が好き。

 

祝福の拍手の中、息子と私はノスタルジックに乾杯し、無口になった。

 

 

 

 

 

 

 

 

Won't you be my neighbor? っていう超マイナー映画にやられた

私は時々一人で映画館に行く。

私の家のすぐそばにマイナーな映画ばかりを多く上映する映画館があり、

そこに好んで通っている。

従業員もシニア(老人)ばかりで、

時が止まった私好みの廃れた雰囲気がある。

 

"Won't you be my neighbor" at 12:30pm for 1,  please. "

と言うと、顔見知りの爺さんがチケットをくれながら、

”Enjoy your movie!”

と歯の欠けたスマイルをくれた。

 

1時間半後、私はべそ泣きで下界に戻ってきた。

心身は、洗浄され、暖かい気持ちで満たされていた。

久々に、映画に完璧にやられてしまった。

 

この"Won't you be my neighbor"という映画は、Mr Rogersという、70年代にアメリカで日本のロンパールームのような番組を企画、プロヂュース、主演していた男性のドキュメンタリーである。

 

番組は必ず、彼がお決まりとして"Wont you be my neighbor?" と歌いながら扉をあけて登場。シンプルなお金をかけないセットと喋るぬいぐるみ。ここまではロンパールームともセサミストリートとも変わらない。

 

でも、この番組にはかなり強固なメッセージを送っていた。

 

対象は、普通の子供だけでなく車椅子の障害児、貧困街にすむ子供などもいる。両親の離婚、ケネディ大統領の暗殺事件、黒人の差別、共存、ベトナム戦争、など当時の世の中の日常にある「タブー」を取り上げ、安っぽいぬいぐるみの口を通して、子供にわかりやすく伝えた。上から目線で説教などせず、愛を、正しいことを伝え、不安を取り除いてあげようとした。

 

映画の最後に彼は言った。

「あなたに愛を与えてくれ、救ってくれた人がこれまでいるでしょう?その人のことを一分考えてください」

 

この瞬間に映画は止まった。

そして10人くらいしかいない劇場のあちこちからすすり泣きが聞こえてきた。誰もが心優しい誰かを想っていたのだ。私もこんな私をお姫様みたいにちやほやしてくれた心優しき祖母のことを想い、涙が出た。

 

なぜ、皆泣いていたのだろう?

Mr. Rogersがあまりにもとんでもなく優しくて、ばかで純粋でいい人だから。人をとことん信じて、真面目に愛を語るから。今時こんな人なんていない。胡散臭いと思われるかばかにされるかのどっちかだ。

 

そんなMr Rogersと自分の子供時代を想いながら、自分の大切な誰かと思いを重ね、懐かしくて嬉しくてさみしくて涙が出たのかもしれない。

 

そんな感じだった。

 

 

 

 

 

King Tut展 に行ってきた

King Tut is back again in LA!

というとマックのMac Ribサンドイッチと同じような扱いで(Mac Rib is Back! )申し訳ないのだが、古代エジプト ツタンカーメン展がLAのScience Museumで行われている。で、すごい人気。

公開されてからもう数ヶ月になるというのに、チケットは前売りで買わないと会場に入れないという有様。夭逝した美しきプリンス Tut (aka ツタンカーメン)は世界中どこに行っても人気があるが、今回の盛り上がりはかなり異常。

 

実は、私はこの展覧会にあまり興味がなかった。というのは、私はかれこれ30年ほど前にエジプトのカイロに旅行に行ったことがあり、「本物」を見てしまったからだ。その時の衝撃を、美術館の展示品が越えられるはずもない、という驕りがある。

 

だが、この前評判である。発掘100 年記念で遺品の多くはEgyptを出るのは今回が最後だという噂。何より三連休何も対してやる事もなかったし、ここいらで1つ子供にイベントを注入しとくか、という親心/下心である。30ドルのチケットを3枚購入しいざ、Tut王子の元へ。💔

 

さて、Museumに着くと門のところで黒人のおじさんがParking Feeを請求。20ドルも取られて驚き。いつもタダなのにさ。仕方ないか、王子に会うんだから。で、中に入るとバーゲンセール並みの黒山の人だかり。オプショナルの音声案内機を3人で購入し、展示場に向かう。

 

展示品はそれなりに面白かった。何よりまばゆい金をちりばめた精巧な美術品、意味を持った遺品は、3000年前とは思えない。

 

500以上展示されているという品々は、どれも、王子の永遠の命を願う気持ちからという。全盛期のエジプトで9歳で王になり、19歳で命を落とした若きプリンス。周りの人の落胆ぶりと永遠のエジプトと王子のパワーを願う気持ちが目に見えるようである。

 

さて、一つ文句を言わしてもらおう。王子に会えなかったのである。王子の石棺さえもない。そう、王子自身はエジプトにいるのだ。なんでどこにもそう書いてないわけ?すっかり騙されてしまった、っていうかそれが当然って事かいな?

 

諦めておみやげ屋さんでKing Tutの顔のついたマグカップやペンを買う。明日から毎朝、エジプトに眠る若き王子に思いを馳せながらコーヒーを飲むことにしよう。

 

 

 

 

 

 

寄付というクセもの

私はアメリカに住んで15年以上経つが、いまだに慣れない習慣というのがいくつかある。その一つがDonation,つまり寄付である。

 

ここアメリカでは寄付をする機会があまりにも多い。

クラブ費用を払う時、必ず最後に寄付の額を書き込む欄があり、その下に支払い合計額を書き込む仕組みになっている。この寄付の欄をすまして通り過ぎるのは多少勇気がいる。だいたい私は、費用の10%を目安に寄付することにしている。この「寄付が当然」的な雰囲気にはいまだ慣れず、ため息の一つも出るというものだ。あのさ、ただでさえ、カリフォルニア物価高いのに、いちいち寄付しなきゃいけないわけ?と心のなかでタメ口を言ってみることもある。

 

これよりもいらっとするのがCostcoのDonationである。Costcoで買い物をすると「毎回」レジのところで

「Would you like to donate to children's hospital?」と聞かれる。(Children's Hospitalに寄付されますか)

Children's Hospital の寄付ばこのそばに、割と小児がんなどの重い病気を持った子供の写真が貼ってあり、これを見ると寄付したくなる人情が私にもある。というわけで、毎回1ドルを寄付すると心に決めている。

[yeah, just 1 dollar, please] (1ドルだけお願い)

と言っていた。

 

が、最近よく耳を凝らして聞いてみると案外、断っている人も多いことに気づいた。

「Not this time.] (今回はやめとく)

「I did this yesterday] (昨日したから)

などとあっさりと言っているではないの。私もCostcoはしょっちゅう行くので、毎回寄付することもないか、、、、と2回に1回寄付としてみた。

 

さて、昨日Costcoに買い物に行った。レジのところでアメリカ人の老夫婦が卵を1ダースだけ手にしていた。相変わらず、店員がおきまりのセリフを吐き、寄付の意向を尋ねると、

「oh, sure. 20 dollars please]

と言っていた。20ドルの寄付、、、卵1ダースは7ドルくらいの買い物である。それで寄付20ドルとは、、、、。そして、とても自然に行っているその様子に心打たれてしまった。そして私は「初めて」10ドルの寄付をしてしまったのだ。そして、私が箱に買い物を詰めている時、後ろの中国人(多分)も5ドル寄付していた。!」

 

こうやって世界は連鎖的に平和に、美しいものになっていくのか、

と思われた一幕であった。

 

寄付バンザイ、である。