寄付というクセもの

私はアメリカに住んで15年以上経つが、いまだに慣れない習慣というのがいくつかある。その一つがDonation,つまり寄付である。

 

ここアメリカでは寄付をする機会があまりにも多い。

クラブ費用を払う時、必ず最後に寄付の額を書き込む欄があり、その下に支払い合計額を書き込む仕組みになっている。この寄付の欄をすまして通り過ぎるのは多少勇気がいる。だいたい私は、費用の10%を目安に寄付することにしている。この「寄付が当然」的な雰囲気にはいまだ慣れず、ため息の一つも出るというものだ。あのさ、ただでさえ、カリフォルニア物価高いのに、いちいち寄付しなきゃいけないわけ?と心のなかでタメ口を言ってみることもある。

 

これよりもいらっとするのがCostcoのDonationである。Costcoで買い物をすると「毎回」レジのところで

「Would you like to donate to children's hospital?」と聞かれる。(Children's Hospitalに寄付されますか)

Children's Hospital の寄付ばこのそばに、割と小児がんなどの重い病気を持った子供の写真が貼ってあり、これを見ると寄付したくなる人情が私にもある。というわけで、毎回1ドルを寄付すると心に決めている。

[yeah, just 1 dollar, please] (1ドルだけお願い)

と言っていた。

 

が、最近よく耳を凝らして聞いてみると案外、断っている人も多いことに気づいた。

「Not this time.] (今回はやめとく)

「I did this yesterday] (昨日したから)

などとあっさりと言っているではないの。私もCostcoはしょっちゅう行くので、毎回寄付することもないか、、、、と2回に1回寄付としてみた。

 

さて、昨日Costcoに買い物に行った。レジのところでアメリカ人の老夫婦が卵を1ダースだけ手にしていた。相変わらず、店員がおきまりのセリフを吐き、寄付の意向を尋ねると、

「oh, sure. 20 dollars please]

と言っていた。20ドルの寄付、、、卵1ダースは7ドルくらいの買い物である。それで寄付20ドルとは、、、、。そして、とても自然に行っているその様子に心打たれてしまった。そして私は「初めて」10ドルの寄付をしてしまったのだ。そして、私が箱に買い物を詰めている時、後ろの中国人(多分)も5ドル寄付していた。!」

 

こうやって世界は連鎖的に平和に、美しいものになっていくのか、

と思われた一幕であった。

 

寄付バンザイ、である。